プロフィールにもありますが、私は4歳から15歳まで神奈川県藤沢市鵠沼海岸に、13歳から23歳まで神奈川県三浦市三浦海岸に住んでいました。
いわゆる湘南海岸に20年、潮の香りの届くところに住んでいたのです。
その間ずっとしてみたかったこと、それはサーフィン。
[2008.07.14]
[2008.07.09]
いつも車で動いていると、公共交通機関を利用することってあまりないですよね。
だから、たまにバスや電車に乗るととても新鮮♪
今ならガソリンもめちゃ高いから、バス代の方が断然安いし!
という訳で先日、カルチャーセンター前からバスに乗って札幌へ行って来ました。
だから、たまにバスや電車に乗るととても新鮮♪
今ならガソリンもめちゃ高いから、バス代の方が断然安いし!
という訳で先日、カルチャーセンター前からバスに乗って札幌へ行って来ました。
[2008.07.03]
山歩き日記・その2~からだいぶ間が開いてしまいました。
今回登ったのはニセコアンヌプリ。
昨年は、ここに行こうとすると天気が悪くなったり、都合が悪くなったりでとうとう行けず仕舞いでした。
だから今年は絶対に行きたかったのです。
だって、手軽に登れてとてもお花が綺麗な山だから。
反対側にはスキー場があるなんて思えないほどに、登山道はくるくると表情を変えてくれます。
今回登ったのはニセコアンヌプリ。
昨年は、ここに行こうとすると天気が悪くなったり、都合が悪くなったりでとうとう行けず仕舞いでした。
だから今年は絶対に行きたかったのです。
だって、手軽に登れてとてもお花が綺麗な山だから。
反対側にはスキー場があるなんて思えないほどに、登山道はくるくると表情を変えてくれます。
[2008.07.02]
話は前後しますが、先週の月曜日にYさんと札幌へお出かけしました♪
休日は野山に行くことが多い私にとっては、久しぶりの街遊び☆
ずっと前から行きたかった、Yさん一押しのレストランへランチをいただきに行ったのです(*^^)v
休日は野山に行くことが多い私にとっては、久しぶりの街遊び☆
ずっと前から行きたかった、Yさん一押しのレストランへランチをいただきに行ったのです(*^^)v
[2008.06.30]
20年くらい前に野田知佑さんの本を読んで以来、ず~っとしてみたかったこと、カヌーに乗ること。
けれども、なかなかチャンスがなかったのです。
けれども、なかなかチャンスがなかったのです。
[2008.06.20]
4月に山から下りてきて、しばらく振りに行ったレストランで目にした工芸品。
「あら♪可愛い☆」
側にはショップの案内の小さなチラシが置かれていました。
それを手に取り見ると、蘭越町湯の里にあるガラス工房でした。
「あちらの方なら、山に登りに行った時に寄れるわ♪」
私はチラシを持って帰りました。
「あら♪可愛い☆」
側にはショップの案内の小さなチラシが置かれていました。
それを手に取り見ると、蘭越町湯の里にあるガラス工房でした。
「あちらの方なら、山に登りに行った時に寄れるわ♪」
私はチラシを持って帰りました。
[2008.06.11]
[2008.06.10]
いよいよ、八重ちゃんご待望のオーストラリア人が闊歩するグランヒラフスキー場辺りを目指して走りはじめました。
でも、「この時期はもうほとんどいない。」という事前情報。
果たして八重ちゃんの期待に副えるかどうか・・・?
でも、「この時期はもうほとんどいない。」という事前情報。
果たして八重ちゃんの期待に副えるかどうか・・・?
[2008.06.08]
先日、ようやく元気になった八重ちゃんを乗せて、ニセコ方面へドライブに行って来ました。
お天気はイマイチでしたが、八重ちゃんはしばらくぶりのドライブにウキウキ。
5月20日に「異常無し」と言われてから、いそいそ始めた7月の東京行の準備のバッグに、北海道のお土産を詰めたいから。
その様子を察して誘ったニセコ行きでした。
お天気はイマイチでしたが、八重ちゃんはしばらくぶりのドライブにウキウキ。
5月20日に「異常無し」と言われてから、いそいそ始めた7月の東京行の準備のバッグに、北海道のお土産を詰めたいから。
その様子を察して誘ったニセコ行きでした。
[2008.06.07]
忘れもしない2月29日。
母の顔が突然歪んでしまいました。
病名「右顔面神経麻痺」。
実は29日の夜の便で母と二人、父の7回忌の法要のために東京の神楽坂へ飛ぶはずでした。
けれどもドクターストップがかかり、飛行機もホテルも全てキャンセルし、私たちの代わりは娘と息子に務めてもらうことになったのです。
母の顔が突然歪んでしまいました。
病名「右顔面神経麻痺」。
実は29日の夜の便で母と二人、父の7回忌の法要のために東京の神楽坂へ飛ぶはずでした。
けれどもドクターストップがかかり、飛行機もホテルも全てキャンセルし、私たちの代わりは娘と息子に務めてもらうことになったのです。