■3.11
たとえ・・。世間様が東北大震災の事をが 風化させたとしても
私は忘れません・・。

ゆがんだ・・。線路
高校まで通うために通った通学路の住宅
変形してしまった海
自分史の1ページを飾った青春時代の
思い出は幻のごとく消え去った・・。
今年・・。自分たちは大きな節目をむかえるでしょう!
年齢も50歳になり・・。
中学や高校の仲間が同窓会をしよう!
という話になっております・・。
非常に喜ばしいことです・・。
その中で・・。仲のよかった健ちゃんの話が印象的だった・・。
小・・。中・・。高と運動能力が能力がずば抜けていた健ちゃん・・。
釜石は平田というところで働いていました・・。
震災の日も普通に仕事をしていたそうです・・。
そして、東北大震災は起こった・・・。
海辺の数百メートル離れた場所にあった会社だったそうです・・。
津波が来るということで、会社の仲間と逃げたということです・・。
そのときに・・。会社の仲間数名と逃げたそうですが
押し寄せる津波が足もとまで来たそうです・・。
40代になっても運動能力はずば抜けていたので
健ちゃんは逃げることができたそうです・・。
しかし、会社の仲間が津波に飲まれている姿が今でも忘れられない・・。って話を聞かされたときには・・・。<悲>
平和の日々が一転した3.11
私の自分史に
消したくても消せない
思い出がつづられたのであった・・。
いきよう!!
必死にいきよう!
今日も息を吸えて目覚めた自分に感謝