■イコロに露天の五右衛門風呂を作る
ご近所のO画伯とゴルフをした時に『五右衛門風呂』の話が出た。
そうしたら、無性にそれを作りたくなったから困った男だ。(私のことである)そこで、イコロのTオーナーに相談した。
すると彼もまた露天風呂を作りたいと思っていたところだと思いも掛けない返事があった。
そこで、どうせなら『露天の五右衛門風を作ろう』という話にまで発展した。
五右衛門風呂は今から50年以上も前の日本では普通の家庭風呂だったようだ。
そこで、伊達の名士達に問い合わせた。『五右衛門風呂を作りたいのだが、どこかに釜はありませか?』。みんなかなり興味だけは持ってくれた。子供の頃に入った記憶が思い起こされたからだと思う。
でも、誰も『ある』という回答は寄越さない。
最後の手段で噴火湾文化研究所にはあるだろうと目星を付けてO所長に電話した。
彼は『あるかもしれないが、底に穴が明いているかもしれない』という返事で、それからは連絡が来なくなった。
私が親しくしている壮瞥町のIさんのところに行って聞いてみた。『無いと思うが、ばあちゃんに聞いてみて』と言うので、サクランボの収穫をしていたばあちゃんに聞いた。なんと『あるよー』と言う。

さすがに伝統ある旧家である。それをイコロに運んでもらった。大きさは直径で80センチくらいの鋳物製で、錆びてはいるが、穴は明いていない。錆を落とせば問題なく使えそうだ。
それから露天風呂場を製作するのであるが、これが問題だ。
お金をかけないで、専門家の善意を頼りに露天五右衛門風呂を作ろうというのであるから、かなりズーズーしい。
釜が入荷した日に釜を乗せるレンガの台を作る為に、この道では有名なK築炉のK会長、東屋の製作担当のS建設のS専務、土木指導のS農業、融資担当のD信金のR理事長、それに私とTオーナーと見物人の室蘭の友人のAさんが集まった。
みんなその発想のバカバカしさに呆れている。翌日には釜の排水口の加工を依頼したHさんが軽トラックで釜を引き取りに来た。基礎の砂利も来た。
そんなようにみんなが協力してくれて、念願の五右衛門風呂が段々と完成に近付いて来る。
完成までは色々とあったが、その話はカットして発想から完成までは9日間で出来上がった。
20日はイコロのTさん、K築炉のK会長、そして私で火入れの儀式を行うことにした。
完成入浴の話は別信で・・・・・。
(おまけの話)
釜が来たので、みんなで入ってみた。
試しに入った人は『思ったより小さいな~。昔は子供だったので、大きく感じていたのかなー?』と言う。かなり錆びているので、磨きにも時間が掛かりそうだ。

R理事長はさすがに金融機関だけあって、『その場所では飛び火して、隣の野原を焼いてしまう恐れがある』と、あくまでも冷静で、危機管理に付いては厳しい指摘をする。
私は完成してお湯に浸かっているところを夢見ているので、あまり難しく考えていなかった。
完成まではまだまだ難問がある。給水のこと、釜の排水口の処理、お湯に入る時の踏み板などが解決していない。完成したら、誰が一番湯に入るかも大きな問題だ。煉瓦の炉を作ってくれたK会長か、釜を提供してくれたIさんか、イコロのオーナーのTさんか、いずれにしても私は3~5番手だろうと思う。入浴編は別の機会に。