■石田ピザ・スペシャルを堪能する
市内在住の石田内科の石田医師はグルメだと私は思っている。イコロ農園に作ったピザ釜を見た石田さんは、『美味しいピザを御馳走したい』と言う。 それならということで、10人限定で『石田ピザ・スペシャル』とタイトルを付けて、ピザ・パーティを開くこととなった。材料の用意や釜の大きさの関係で、10人以上は無理だと思われたからだ。ところが、当日は色々な事情から13人となってしまった。
午後4時に私達はイコロに行ったら、既にTさんは釜に火を付けて準備をしていた。
私の女房はデザート係なので、イコロ農園で採れたラズベリーを使ってクレープやゼリーを作っている。そこへ石田さんは大荷物で家族4人で現れた。彼はいつも機嫌が良いが、今日は特に機嫌が良い。
何故なら彼の次女が札幌で行われたミュージカル・ショー『赤毛のアン』に出演したばかりだからだ。だから、彼は予算に関係なく豪華な食材を山ほど用意して来た。

ピザの美味しさの決め手は第1に材料である。
それもチーズも大事だが生地が美味しさを決める。材料はグルメの石田さんが用意するのだから問題があるはずがない。次にピザ釜であるが、これは今回の場合は問題ない。
なんといってもこの釜は胆振地方で一番の釜であると自負している。だから、最後は焼き方である。
これも色々なレストランに行って教えてもらったり、盗み見をして来ているので大丈夫だ。
石田さんのお嬢さん2人がピザ生地を伸ばし色々な具を乗せる。それをTさんが釜に入れる。
熱くなっている釜なので、1分も掛からずにこんがりと焼き上がる。それをすぐに皆に食べてもらう。こんな贅沢で美味しいピザはそうは無い。
ピザ・パーティは延々と続き、途中で遠くから昭和新山の花火を見て、更にイコロの水田で蛍を見て、やっと終わったら10時30分にもなっていた。

(おまけの話)
ピザという食べ物を生まれて初めて食べたのは、東京の西の外れの横田米軍基地の前にある『ニコラス』だった。私が中学3年生の時のことだと思う。
今から50年も前のことだ。父親に連れられて行った覚えがある。『こんなに美味しい食べ物があるのか?』と驚いた記憶がある。
それ以来、今までにあちらこちらでピザを食べ続けて来ている。
本場のイタリアでも食べた。ニューヨークにいた時はアメリカスタイルの立ち食いピザも何回も食 べた。シカゴのもの凄い分厚いピザも食べた。東京でも伊達でも食べる。
最近流行りの薄い生地のピザもよく食べる。和風ピザなんて怪しいピザも食べた。
色々なピザを食べて来たが、いまだにニコラスを越えるピザに出会ったことがない。そのニコラスの創始者のニコラスさんの人生を描いた『東京アンダーグラウンド』も読んだが、とても面白かった。
戦後の混沌とした東京を知る良い歴史書でもある。