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[2007.11.09]
■ 忙しく芸術鑑賞をして帰って行ったRさん
伊達市にはメセナ協会があり、芸術や芸能・音楽を奨励している。小さな町なのに、中央の文化を取り込むことに非常に熱心である。 
そんな町の文化活動を支援している代表格が伊達信用金庫である。その信金の理事長はRさんといい、自らもエレキギターを演奏するし、絵画にも造詣が深い。 
 
9月に信金ホールで行われた野田画伯によるフェルメールの『牛乳を注ぐ女』の解説の時は司会役も務めていた。 
フェルメール  
そのRさんが仕事で東京にやって来た。 
その時に丁度、私の女房の友人の画家である板倉遥さんが銀座で個展を開いている時にぶつかり、私は芸術を理解するRさんを個展に誘った。仕事を早々にかどうかは判らないが、切り上げてからRさんは銀座にやって来た。Rさんとは銀座三越デパート地下食料品売り場という変な場所で待ち合わせをした。 


 
そこからすぐ近くの光画廊で板倉画伯に会う。彼女は伊達市に2回も来ているので、Rさんとはお馴染だ。彼女の絵を見た後に、次はまた近くの女房の友人の広田画廊で芸術を鑑賞する。 
 
彼女も伊達には来たことがある。それが終ったら、東京ミッドタウンに移動して、私の友人の大高明写真展を見る。大高君は私のメールでRさんとは知り合いのような気になっている。 
 
それが終り、最後には伊達の人が何回も食べ損っている東京のうなぎの名店『野田岩本店』に行く。 
そこでやっとゆっくりして、色々と話が出来た。早朝に北海道から来て、横浜で仕事をして、その後に次々と芸術鑑賞を強制されたんじゃ、次回は断られるかもしれない。 
 
 
でも、Rさんは『元気の源は、忙しいスケジュールをこなすことだ』と言っていた。 
忙しくなくなったら、その時は邪魔者になったと気が付かないといけないようだ。 
 
(おまけの話) 
年をとると昔話が好きになる。 
Rさんは抜群の記憶力を持っていて、昔の出来事の日時を正確に覚えている。昨日食べた夕食のメニューも忘れるような私にとっては驚愕すべき人である。 
 
45年も昔のことだが、彼女(今の女房ではない)からグレープフルーツをもらった私は、その時はそれが何であるか分らず、それを剥いて食べた。そうしたら、グチャグチャになり、酸っぱくて不味かった覚えがある。 
いま思い出しても恥ずかしい。 
 
その話をRさんにしたら、『昔のことだが、私はコーヒー豆をもらい、それをどうしたらよいか分らず、仕方ないので、当時飼っていた小鳥の餌を擦る小さな瀬戸物のすり鉢で細かくして、ネルの布で漉して飲んだ。ドリップコーヒーの初体験だったが、あんなに美味しい物はないと思った』と語っていた。 
 
我々の世代は人それぞれに可笑しい思い出があり、年をとるのも悪くないと思った。 
それに引き替え、今の若い人達は恵まれ過ぎていて、感激するような食べ物の経験が無いのが可哀想だ。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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