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[2008.03.17]
■誕生祝いは入院用品
毎年、3月になると必ず誕生日がやって来る。 
子供の頃は誕生日が嬉しかったが、今となるともう嫌である。あの世に行く日までのカウントダウンでもあるのだから・・・・・。 
 
今年の誕生日はロスからIさんとTさんがお祝いのメッセージを送ってくれた。ブログにそれとなく私の誕生日を書いたら、伊達から多くのお祝いメールが来た。これじゃー、誕生祝いの押し売りである。 
また、女房が私の誕生日の朝、起きて来るなり私に誕生祝いをくれた。 
 
それは前立線癌の手術で4月後半に入院する時の為にと、病室で着るガウンであった。お祝いにガウンでは、長期間入院しなければいけないみたいだ。 
 



その日に、都内に住む娘が誕生祝いに夕食に招待してくれた。『何が希望なの?』と言うので、浜松町の新亜飯店の小龍包をリクエストした。 
『もっと高い物でもいいのよー』と言うが、あまり娘に負担は掛けたくない。 
 
私は社会人になってすぐに、都内に住む友人に連れられてこの店に行った。小龍包という名前も初めて知ったが、こんな美味しい物があるのかと思った。その時は、都内に住む男は小金井に住む男とは世界が違うな~と思った。 
今でこそ都会派を気取っているが、少し前は都内の友人から見れば、私は田舎者だったのである。 
 
 
娘に『いっぱい食べて』と言われても、もうそんなに食べられなくなってしまった。 
肥満なんか気にしないで、食べられる時に食べておいた方が良い。いずれ食べられなくなるのだから・・・・・・。 
 
・・・なんて、私の話を信用しては駄目ですよー。伊達市のKさーん。 
娘にご馳走になった小龍包はなぜかいつもより美味しかった。その後に銀座に出て、資生堂パーラーでデザートまでご馳走になった。 
あと何回、こんな風に誕生日を迎えられるのかなーと、考えてしまった。 
 
(おまけの話) 
私の子供の頃は我が家では誕生日になっても、『おめでとう』という言葉だけで、ご馳走とかプレゼントなどでは祝ってくれなかった。 
 
子供が4人もいたし、また両親は仕事で忙しくて、いま思えば、それどころではなかったのかもしれない。 
その代りなにか努力して得た時は祝ってくれた。自動的に向こうからやってくるものは祝わない、という親の考えだったのかもしれない。 
 
そんな理由で誕生日を祝わない子供時代を過ごして来たので、私は両親や兄弟・姉妹の誕生日をよく知らない。 
 
妹はおおよそ2月だったかなー?・・・なんていう具合である。だから当然のように両親の誕生日は知らない。その代わりに命日だけは知っている。 
これが良いのかどうか判らない。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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