■45年ぶりの学生食堂
私の学生時代の友人のN君は東京工芸大学の専務理事をしている。 彼は長くニコンの取締役をしていたが、請われて引退後は大学に関係することになった。
そこへいくと私はどこからも請われなかった。
もっとも、もう十分に働いたと自分では思っているので、声を掛けられても迷惑だったと負け惜しみを言っているのだが。
ある日のことだ。N君に用事があって東京工芸大学に行くことになった。
この大学は私の通っている中野坂上の仏像教室と同じ町内にある。そこでN君にお願いした。
『仏像彫刻教室のある日に行くので、久し振りに学食(学生食堂)でお昼ご飯をご馳走してくれ』。
N君は快く受け入れてくれて、12時丁度に大学で待ち合わせた。
中野坂上のキャンパスは厚木キャンパスよりかなり狭いそうだ。それほど広くはない学生食堂に行く。
考えてみたら45年ぶりの学生食堂での食事である。
N君は気前よく『なんでも好きな物を食べろ』と言う。
でもショーケースの中のサンプルを見たら、一番高い物が390円だった。

メニューの値段は45年前と比べて4倍弱しか上がっていない。その間に大卒の初任給は8倍以上となっている。そうしてみると、意外な感じだが、食べ物の値段はそれほど高くなっていないことに気づく。
私はここで一番高いB定食を頼んだ。
海老フライ2匹にコロッケにキャベツ、それに付け合わせの小皿の野菜の煮物と漬物と味噌汁まで付いている。

味もそこそこで、昔よりはかなり美味しいと思った。
N君の話でも、『不味いと学食で食べてもらえない』と言っていた。
私の学生の頃は学食というのは、『お腹が一杯になれば、それでよい』という学食の常識というのがあったが、今はもうその常識も古くなって通用しなくなったらしい。
一瞬だけだが、学生時代に戻ったような気がした。
Nくん、『ごちそうさま』
(おまけの話)
私の小学生の頃は給食は無かったが、高学年になった頃から、アメリカから贈与されたか、買い取った脱脂粉乳で作ったミルクが出るようになった。
これが酷く不味くて、いま思いだしても気持ちが悪い。
中学・高校は6年間の一貫教育の学校だったが、給食は無かった。
大学に入り、学生食堂で昼飯を食べるようになった。
他の大学にも食べに行ったが、どこも安いけれど不味かったなー。
そこへ行くと日本に駐留している米軍の食事は凄かったのをよく覚えている。
アメリカに行く前の冬に座間の米軍キャンプで研修があった。その時にキャファテリアで米兵と一緒に食べた食事は一生涯忘れられない。
朝食の時はミルクもあるし、ジュースもある。
我々がまだ『ワタナベのジュースの素』という怪しいジュースを飲んでいる時代に、本物の天然オレンジ・ジュースだった。朝からハムやソーセージも出た。
食べたいだけ食べていいと聞き、かなり興奮した。
夕食には分厚い肉も出るし、野菜サラダも出るし、デザートにアイスクリームがあったのにはたまげた。
当時の日本ではアイスクリームは夏にならないと売っていなかったのだから。
その時、私はシミジミ思った。『親父達はこんな国と戦争をしたのかー。勝てるわけがないよー』・・・・と。
私の世代は子供の頃に食糧難だったので、自分の豊かさを感じる判断基準は食べ物だけという悲しさがある。