■何気に使ってしまう言葉に気がつく・・。
皆さんおはようございます・・。
あるブログを見ていて・・・。ああ~そうだよなぁ~と考えさせられることがありました・・。
その言葉は
「人ごみ」
そのことについて今日はシャアさせていただきます。
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今日は心の扉の主導権の握り方
について伝えます。
先日、ついにスカイツリー観光に
行ってきました。
ソラマチにお土産を買いに入ったのですが、
人の多いこと!
人の流れも途切れないから
行きたい場所にもなかなかたどり着けない。
お互いにそう思ってる空間。
(これだから人ごみは苦手なんだよ・・・)
と思ったときに、はっ!となりました。
(人ごみだって?)
(僕は人をごみだと言ったのか?)
「フハハハッ!見ろ!人がごみのようだ!」
(ムスカかっ!)
思わず自分にツッコミを入れました。
この時に僕の心がどのように
動いていったのか見えたんだよね。
面白いことがわかったのでシェアします。
通常は人は人として認識してます。
(当たり前だ。笑)
家族や職場、今まで関わり合いがある
人は全て意味のある人として認識してます。
関わり合いがない人も
もちろん「人だ」とは認識してます。
例えば、その時の人の反応は、こうなる。
すれ違いざまに目礼したり、
ジロジロ見過ぎないようにしたり、
会えて違う場所に視線を送ったり。
知らない相手だけれども、
失礼がないように、接する。
まさしく「人」として接してる。
あなたにも、経験があるんじゃないかな?
ところが・・・
今回のように非常に混んでる場所に行くと
人を人として認識しなくなっていく。
いちいち目礼してたらキリがないし、
右を見ても左を見ても人ばかり。
ちゃんと周りを見ないとぶつかってしまう。
人が多すぎて、情報が多すぎるから。
そして目的の場所に移動することに
フォーカスしていくと、その時に。
自分の心の扉がしまってしまう。
フィルターが「人」としての情報を
シャットアウトしてしまう。
「人」から「障害物」に認識が変わる。
ああ、邪魔っ!ってなる。
そのことに気がついたとき、
「あぁ、そうか、東京砂漠とは
そういうことか!」
と仕組みを理解できたんだよね。
そういう場所では人恋しくない。
人がわずらわしくなる。
人が多すぎる場所では
「人」という情報をカットしにかかる。
「人を人と思わないこと」
やっぱり、望ましいことではないよね。
人は、思いやりがあって初めて人になる。
今までの自分も混雑している場所では
人として認識してなかったなと反省した。
じゃあ、いったいどうすればいいのか?
それは、目に入る人全てが
関わり合いのある人だと思うこと。
意味のある人だと思うこと。
将来助けてくれる人かもしれない。
将来一緒に仕事する人かもしれない。
将来お客さんになる人かもしれない。
将来先生になる人かもしれない。
それだけでなく、
事実として、今使ってるケータイや
パソコンの部品を作ってる人かもしれない。
洋服を作ってる人かもしれない。
商品を運んでる人かもしれない。
いろんな人のいろんな仕事のお陰で
僕の生活は成り立っている。
そこに気づけば、人を見る目が
変わるんじゃないかな。
そしてこれは周りの人に
気配り心配りをするということ。
つまり、自分のエネルギーを
周りの人に送るということ。
だからエネルギーが十分ある状態
でないとできない。
疲れているときやエネルギーが低い時に
心配りをするのは難しい。
誰もがスーパーマンじゃないんだから、
そんな時は無理せず心の扉を閉めて、
あなたの心を守ってあげよう。
僕が今できてるわけじゃないけれど、
今後心がけていきます。
あなたも心の扉の主導権を
握り直してみてはいかがでしょうか?
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人恋しいという言葉もあるが
人がゴミとかす時もある
人の心って複雑ですよね・・。
私の仕事・・・。いつまでも大切したい
「人」とのつながり
今日も張り切っていきます。