■驚きのシャーマン・コレクションを伊達市で見た
戦後のことであるが、占領軍の軍属として来日したアメリカ人の中にフランク・シャーマンという人がいた。彼は戦前から日本の美術に造詣が深く、戦後来日するや日本の画家と親交を深めて次々と名画を買い取っていった。 また、日本の名士達との交流も積極的に行い、皇族から芸能人まで幅広く人脈を広げて行った。そのシャーマンの名前は私はだいぶ前だが何かの本で読んだ記憶があった。
">シャーマンコレクション5000点、伊達市に贈られる

その後、シャーマンはアメリカに戻ったが、ひょんなことから神奈川県のKさんがシャーマンに気に入られて交流を深めて行った。その後、かなり時間が経過してシャーマンはアメリカ、ボストン近くの自宅で亡くなった。
Kさんはボストンを訪問し、相続人と交渉してシャーマンが日本から持ち帰ったシャーマン・コレクションをどのように交渉したか分らないが全て日本に戻したという経緯がある。
そのKさんは伊達市在住の野田弘志画伯の支援者でもあり、それが縁で時々、伊達市にやって来る。私もある時に食事会で一緒になり、色々な話をしたことがある。
そのKさんがシャーマン・コレクションを全て伊達市に寄託した。寄託とは信頼して預けるという意味で、半永久的に伊達市が管理することになった。あのシャーマンのコレクションがなんと伊達市にあるという話を聞いた私は噴火湾文化研究所の大島所長に話をして、そのコレクションを見せてもらうこととなった。
建物の奥まった厳重にセキュリティがされ、温度・湿度が管理された部屋に置かれたシャーマン・コレクションは5000点以上の膨大な資料と共にあった。260点近い日本の絵画・版画などの他に膨大な量のシャーマンの手紙、個人的な愛用品などからなっている。
歴史的にも価値があるシャーマン・コレクションは現在は噴火湾文化研究所で詳細な資料作りの作業が行われている。いずれ市民にも公開されることになっている。
伊達市にはまた素晴らしい文化遺産が手に入った。
これから益々、文化・芸術の町としての名声を得て行くだろうと思う。
その日は素晴らしい体験をさせてもらい感動した。そんな伊達市に来ている私は幸せ者だ。

添付写真の説明
1枚目は小磯良平の傑作『2人の女』である。
2枚目は猪熊弦一郎の12枚シリーズの『パリシリーズ』である。
(おまけの話)
私の家には子供の頃から洋間の壁に絵が架けられていた。作者は鈴木信太郎で鉢植えのバラの花の構図である。鈴木信太郎展
私が育って行く時に、いつもこの絵が傍に飾られていた記憶がある。
バブルの頃だが、母は『私が死んだら、この絵を売って兄弟姉妹4家族で豪華海外旅行をしなさい』と言っていた。総勢で16名にもなるので、かなりの金額だったと思う。
ところが母が亡くなった時にはバブルが崩壊していて、値段が幾らになったのか分らない。
そこで相続の際に絵を売らないで私が買い取り、そのお金を兄弟姉妹に分けた。
だから今でも我が家にその絵はある。私の青春時代の思い出を売ることは出来なかった。
他の兄弟姉妹はその絵に何も思い入れは無かったようだ。
いつか『なんでも鑑定団』に出場して、その価値を判定してもらいたいと思っているが、もし『偽物です』と言われたらかなり落ち込むだろうからやめている。