■伊達のスロウな生活を懐かしむ
東京に戻るとすぐに今まで通りの生活が始まってしまう。 人というのはすぐに環境に慣れてしまうんだなーと思った。私達の留守中に家の周りやご近所でも何も変わったことは起きていなかった。小金井の町も普段と変りなく、せわしなく動いている。
変わったことと言えば、家の近くを走っているJR中央線が変わった。
北海道に行く前には地上を走っていた電車が、帰って来たら高架線となっていた。
ずいぶん前から複々線の工事をしていたが、それがまだ未完成であるが高架を走るように変更になっていた。その影響で、家に居ると電車の通る音がやけにうるさい。
伊達でゴルフ場のコテージに居たので、いつも静かな中で生活していた。音と言えば、朝は鳥の声、昼は時たま通るゴルフカートの音だけだ。夜は全く音の無い世界だった。ところが自宅のある小金井ではいつも何かの音がしている。
電車の音、工事の音、自動車の音、近所の話声、宅急便やゴミ収集車の来る音、何か分らないが騒音がしている。特に2分おきくらいに通る電車の音は我慢がならない。
完全に高架工事が終わり、防音壁が出来るには、まだ3年くらいはかかるという話だった。静かになる前にお迎えが来てしまう。

帰った翌日には友人達と作っているデジカメクラブの例会に出席した。その翌日には新宿の床屋に出掛けた。帰りに府中に出て映画を見た。新宿駅から住友ビルへと行く道は臭い。ホームレスがオシッコをするらしい。
新宿から京王線に乗った。なんでこんなに人が居るの?と思う。伊達のお祭りでもこんなに人はいない。府中からの帰りにバスで小金井に戻った。帰ってから気が付いた。
JRでも私鉄でもバスでも、なんでもSUICAカードで乗れるのを忘れていて、乗車券を買ってしまった。しばらく伊達に居たので東京のルールを忘れていた。
私は東京に馴れる為にリハビリが必要ではないかと思っている。今では伊達でのスロウな生活が懐かしく思い出される毎日だ。
(おまけの話)
壮瞥には小さな神社がある。そこの宮司はMさんという気のいい男だ。
ある時、彼と話していて判ったことがある。Mさんはイタリア料理が好きだと言う。
特にチーズ系が好きで、ピザなどは大好物だと言う。
私はMさんに言った。『神に仕える仕事をしている人は洋風の物は食べないで欲しい』と勝手な言い分である。Mさんは、『日本の神は何でも受け入れる心の広さがある』という返事だった。そのMさんが私の帰京に際して、蜂蜜をプレゼントしてくれた。
私は毎朝の朝食に蜂蜜をパンに塗って食べている。

Mさんのくれた蜂蜜は壮瞥の特産である『白花豆』から採った蜂蜜である。
この豆から作られた豆菓子に『哲郎豆』というのがある。なんとこの哲郎というのは私の滞在しているゴルフ場のK社長の父親の名前から付けられたのだと聞いた。
高価な白花豆の大ビンの蜂蜜を全部私にプレゼントしてしまったMさんは、今頃は『少し残しておけば良かったなー』と思っているに違いない。来年の夏には小瓶に分けて北海道に持参して、Mさんに少し分けてあげようと思う。