■社長を辞めたい人が・・・(その2)
社長の幸せな辞め方の出版記念で講演会が開催され、私が講師に呼ばれた話は以に書いたと思う。出掛けた場所は11月9日の名古屋会場、21日の東京会場、そして29日の名古屋会場である。 その度にパネルディスカッションの講師は変わるが、私のように社長を実際に辞めた男が少ないのか、3回とも呼ばれた。どこの会場も予定人員を大幅に越えて、断るのに苦労したそうだ。この調子じゃ、また別の企画で呼ばれるかもしれないと思った。
どこの会場も有料のせいか熱心な参加者ばかりで、講演会が終った後には私に面会を求める人が何人もいた。みな深刻な後継者問題を抱えているようだ。
事業で成功した話は場合によると、自慢話になってしまい嫌われる。そこへ行くと、私は事業では成功していないが、会社売却では成功したというまだ珍しい中小企業経営者なので、希少価値があり、みなその体験談を聞きたいのだろうと私は勝手に思っている。
『会社の寿命は30年という説がある中で、丁度30年くらい経った時に息子に社長の座を譲るのは問題ではないか?』という私の話は参加者にはかなりキツイ言葉だ。
また、息子の人生をオヤジが決めてしまうのも問題であると話した。私は渡航が自由化されていない時代にアメリカに渡り、多くの先進的な情報を得た。
ところが、それを生かす間もなく、オヤジは亡くなってしまった。それからは会社のことなど何も判らないままに、死に物狂いの青春だった。
いま世の中で大企業となっている警備保障会社、レストラン・チェーン、スーパーマーケットなどはみんな私がアメリカに居る時に父親に書き送った手紙に書いてある。
それをやれたら成功できたかどうかは判らない。でも、それをやれなかった悔いは残る。
だから、世の中の父親は息子には自由にやらせてみて欲しい。自分の息子なんだから、駄目で元々ではないか!


講演会では私以外の講師はみな会社を後継者に譲ったか、譲られた後継者だった。
果たして、中小企業は事業を承継すべきなのかどうかという大きな問題は解決しないで3回の講演会は終った。
でも、本は3000円もするのに売れているらしい。
(おまけの話)
講演会の講師として名古屋に行ったので思い出した。
現役の時には名古屋に3社の取引先があった。
その内の1社は倒産してしまい、当社も多大な被害を被った。倒産の理由だが、今回の講演会の演題がなんだか奇妙に関わっている。
その会社は創業者に後継者となる男の子がいなかった。
社長の1人娘は手芸の先生をしていて、名古屋のデパートの教室に教えに行っていた。
そこにいたのが後に社長になるM氏であった。彼はネクタイ売り場いたそうだ。
社業は順調に発展していたが、後継者のことを考えて、創業者はM氏を会社に入れた。
暫くして、M氏の能力に疑問を持った役員が次々と辞めて独立し、ライバルとなった。
その後、創業者が亡くなり、丁度バブルに出会ったM氏は功を焦り、株式の信用取引で大失敗をして、遂に会社を倒産させてしまった。東京でも取引先の婿さんが会社を倒産させた。この時も大きな被害を被った。
また、創業者が本業以外のことで夢中になり、会社を倒産させた例はかなり多い。
その度に当社は相当な被害を被って来た。
会社というのは倒産は簡単にする。それを無理して持続させると寿命が来て、また倒産する。だから適当な時期に止めるというのが正解のような気がしている。
小金井の自宅から