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[2007.12.17]
■私が東南アジアに住まない理由
デジカメクラブのY君が『昭和記念公園にイルミネーションの撮影に行かないか?』と誘ってくれた。生憎、その日は予定が入っていて一緒に行けなかったので、別の日に一人で行くことにした。 
 



イルミネーションの撮影は今年は東京ミッドタウン、名古屋駅前、新宿駅周辺などに行った。どこもそれなりに頑張っている。イルミネーションの撮影は難しい。光源はカメラではハッキリと写らない。 
だから近景は光がボヤケてボーとなって、あまり良い写真とはならない。 
 
私を誘ったY君は先に撮影に行って、メールで素晴らしい写真を送って来た。その彼は私より少し遅れてカメラを始めたので、一応、私の弟子ということにしている。彼も嫌々ながら受け入れてくれている。 
 
14日に天気が良かったので、1人で夕方から出掛けた。 
JR中央線に乗り立川駅で青梅線に乗り換えて1駅の西立川駅で降りる。 
駅を出ればそこはもう昭和記念公園入り口である。 
予想通り老年カメラマンがかなり居る。最近はどこにでも出没するから困る。 
イルミネーション会場は立川口なので、園内を少し歩く。 
 
この寒い中を大勢の見物客が出ている。 
特にオババの4人連れが多い。カメラをやらないジジイはあまり来ていない。 
ジジイよりオババの方が元気なようだ。よく考えてみたら、私もそんなジジイ仲間であることが分かり辛い。 
 
 
カメラを構えても人が多くて、なかなか良いシャッターチャンスに恵まれない。 
最近はどこでもそういう状況なので、早撮りの技術ばかり上がってしまう。 
 
私の伊達でのカメラの師匠のチロルのマスターのNさんは、『もっと落ち着いて撮った方が良い』とアドバイスをくれたが、ここは東京で人が多いので、伊達のようにユックリは撮れないというのを言い訳にしている私だ。 
 
(おまけの話) 
立川と言うと思い出すのは米軍立川基地である。 
駅の北口を出て正面の道路を北に約300メートルくらい進むと大きな交差点に出る。 
その信号を左手に曲がると50年前にはそこにゲートがあった。米軍基地への入り口である。 
 
ここからは治外法権で中がどうなっているのかは分らなかった。そこが現在の昭和記念公園となっているのである。 
その信号のある交差点に沿って東西にドブ川が流れていた。そして、その両側は当時は赤線地帯でもあった。今は様変わりで清潔になりデパートの高島屋なんかがある。 
 
その辺りでは米兵がジープに乗って、大きな態度で札びらを切っていた。 
毒々しい真っ赤な口紅を付けた日本のネーチャンが米兵の腕にぶら下がり、チューインガムを噛んでいた。 
安い給料のGIがドルが強いことを利用して日本で豊かに暮らしていた。 
 
そんな風景を子供ながらに苦々しく見ていた思い出があるので、私はリタイア後に東南アジアに住むのには抵抗がある。経済格差を利用して貧しい国に住んで豊かな生活をするという態度は、実は私が中学生の頃に見ていたことを自分がすることになるからである。 
他にも色々と理由があるが、だから私は伊達市に住むようになったのである。 
 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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