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[2007.12.22]
■来年の手帳を買ってしまう貧乏性な私
毎年この頃になると現役の時の癖か、つい来年の手帳を買ってしまう。手帳を買うと今度はその空白を埋めたくなるから嫌な性格だ。そうして、毎年を忙しく過ごすようにしてしまう。 
引退して不要となるものは、日経新聞、手帳、携帯電話などだろう。 
 
人によって違いはあるが、必要となるのがパソコン、カメラ、SUICAなどだろうと思う。ところが私はその不要となる筈の手帳と携帯電話は離せない。 
毎日が日曜日でも良いのだが、それが出来ないのは貧乏性なのかもしれない。 
 


今年も最後の12月になり、手帳に空白が見付かった。 
そこを何で埋めようかと思っていたら、新聞に浅草の羽子板市が出ていた。 
毎年12月17~19日は浅草で羽子板市が開かれる。 
あまり乗り気でない女房を誘って浅草まで行く。 
 
 
浅草は以前から好きでよく行く。誰かを案内する場合もあるし、なんとなく行きたくなる時もある。今回は羽子板を買うのではなく写真を撮る為である。 
暫く前は浅草は地盤沈下でお客も少なかったが、最近は外国人観光客の誘致を積極的に行って来たせいか、混雑する仲見世通りを歩くと周りから聞こえて来るのは外国語ばかりだ。店番のお婆さんまでが片言の英語を話す。 
 
 
羽子板市は10数軒の店が出ていて賑わっているよう見える。ただよく見ると、見ているだけで買う人は少ない。 
なにしろ普通の大きさの羽子板が1万2000円もする。これを値切っても1万円にしか下がらない。大きな14万円の羽子板を値切っている人を見掛けたが、『10万円でどうだ!』と店の者が言っていたが売れなかった。 
 
売れないことを見越してか、羽子板にビニールでカバーをしている店が多い。 
来年も同じ物を売るのかなー?賞味期限は大丈夫か? 
でも、古い伝統の日本文化に触れると、なぜか気が休まるな~。 
 
(おまけの話) 
私がまだ小学生の頃、私のオヤジは小さな工場を経営していた。主に金属の運動具を製造していた。その運動具というのは運動会で使用するスタート用のピストルとかローラースケートなどであった。 
 
それを浅草橋にあった運動具の問屋『エバーニュー』に納品していた。今とは違い、納品は馬車かリヤカーであったように覚えている。 
まだトラックの運送屋は珍しい時代だったのだろう、朝早く納品の量が多い時は馬車がやって来た。今の武蔵小金井駅前にあった馬車屋から来ていた。 
 
量が少ない時は自転車に引かれたリヤカーに犬を補助に付けて岸田屋というリヤカー運送屋が来ていたように思う。 
小金井から浅草までは往復で80キロ位の距離があると思うが、そこまで馬車やリヤカーで納品していたのだから長閑な時代だった。 
 
時速5~6キロ位の馬車で浅草まで行ったら日帰り出来ていたのだろうか?暫くしてオヤジはオータというメーカーの新車のトラックを買った。 
そのトラックはしばしばエンストをした。だから私がオヤジの運転でトラックに一緒に乗って浅草橋まで納品に行った時も、片時もエンジンは切らなか 
った。 
 
切ったら最後、次にエンジンが掛かるかどうか分からなかったのである。私の生きて来た時代は本当に急激な変化をした時代だったな~。 
 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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