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[2008.02.22]
■中国の前立腺検査事情
友人で上海で工場を経営しているKさんが、私の前立腺癌の検査のメールを見て、日本と中国のそのあまりの違いにかの地の検査事情を知らせてくれた。 
少し前の日本でも同じだったのではないかと思うが、中国も豊かになって来れば変わって来るだろうが面白いので紹介します。 


(Kさんからのメール) 
上海では、一流の華山医院の半日ドックでした。 
血液を採るにも、心電図を撮るにも、CTスキャンでも、靴を履いたままで台の上に乗るのが違和感がありました。 
 
靴の当るところは、ゴムが敷いてあるのですが、それが奇麗ならいいのですが・・ 
採血した後の脱脂綿や、心電図を撮った後に胸に塗ったゼリーをちり紙は自分で拭いて、屑籠に入れるのですが、半分は籠の外に落ちています。 
 
前立腺の検査は、何が始まるか判らないまま、アッという間に終わり、「前立腺肥大」というハンコウを押されたので、何をしたか判りました。 
 
小さな部屋に小さい木の机があり、汚い白衣をまとった(ボタンはかけていない)頭ボサボサの中年男が椅子に座っていて、検査表を出すとやわら立って、ズボンを脱げという仕草、もたもたしていると前屈みに両手を開いて机に置かせ、足をさらに開けとばかり自分の足で、私の足を押し広げ(この時点で四つんい)、 
 
ゴム手袋をした手でズボンを引きおろし、肛門に油のようなのを塗ったと思いきや、なんの前触れもなくいきなり、指を突っ込んで・・・わたしはあまりの痛さに大声で「とーん(痛をトンという)」 
さらに引き抜く時もいきなりで、その時はもっと痛くて声が出ませんでしたが、涙が出て終ったようでした。 
ハンコウをついた検査表と日本でも昔あった灰色のちり紙のようなものを差し出すので受け取り、あまりの痛さに、そっとズボンを履き、内股でドアを開けて外に出ると、検査表を集める係りの奇麗な看護婦さんが手を出していました。 
 
検査表を表に、下に重なったままのちり紙を渡そうと手を差し伸べた時、その看護婦が「ひえー」と言って手を引っ込めるので、紙は廊下に落ちてしまい、良くわからないまま、私はケツが痛いのに拾ってさらに渡そうとすると、指でちり紙を指してなにか怒っている 
ようで、その時、初めて肛門に付けた油をこれで拭くのだと気が付いて、とっさに「対不起(トイプチ)ごめんなさい」と必死に謝りましたが、パンツはベタベタでひどい目にあいました。 
 
それに比べて、小平の昭和病院は良かったです。 
ベットに仰向けになり、看護婦さんが準備してくれて、寒いのを我慢していると、男の先生が来て、肛門と手袋にゼリーを丁寧につけて、入れる時は2~3回行ったり来たりさせて様子を見ながらゆっくり入れたので、あまり痛いと感じませんでした。 
 
ちり紙を渡されるようなこともなく、向こうで拭いてくれました。 
血液検査でも異常は無しということでした。 以上。 
 
写真は2月の大雪の後の上海の無名の公園の様子である。 
 
 
もう1枚はKさんの工場の材料置場が雪で壊れたところだそうだ。 
 
 
(おまけの話) 
最近の日本の病院は患者をお客様として扱ってくれる。 
私は病院に縁が無かったので、いつ頃からそうなったのかは知らない。 
壁に貼ってあるお知らせも『患者様へ』と書いてある。 
大きい病院はどこでも予約制となっているので、以前ほどは待たなくなった。 
 
入口にはボランティアのオジサンが居て、初めての人でも迷わないようになっている。 
全てがコンピューターで管理されているので、コンピューター世代でない年寄りは戸惑っている。 
あまり変わらないのは診察をする医者の態度である。 
人というのは機械じゃないので、システムのようには簡単には変われないのだろう。 
 
驚くのは支払である。窓口での支払いはとっくに無くなっていて、銀行のATMみたいな機械に診察券を差し込むと料金が表示される。 
そこで現金を投入口に入れて支払うのだが、驚くことに、カードでも支払える。長いこと健康でいた為に、病院の進歩に私は全く気が付いていなかった。 
 
これから私は暫くはそんな病院と付き合わなければならない身なのである。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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