■下町散策で風邪も治る(上野から谷中、根岸へ)
国宝薬師寺展を見に行った時のことである。 風邪の具合が悪いので、仏像彫刻教室の先生達と別れて早目に一人だけ会場を出る。外に出たら爽やかな空気で少し元気が出て来た。
そこで、少しこのあたりを散歩することにした。
東京国立博物館を出て右に行くとすぐに東京芸術大学がある。伊達市に関係のある大藪雅孝画伯が少し前まで総長をしていた大学である。
外から見える古い校舎はなかなか趣がある。
その先の信号を左へ折れる。
すぐに私の知り合いのIさんの会社である。
その前を通り過ぎて、次の信号を右に曲がって谷中方面に向かう。
この辺りはお寺だらけだ。向こう三軒両隣はみなお寺だ。

なぜこんなにお寺が多いのか調べたら、1600年代に上野寛永寺の子院が沢山建立され、その後、江戸の再開発で神田辺りから沢山のお寺が引っ越しをして来たことからこうなったようだ。
この辺りではお寺じゃないと肩身が狭いような感じだ。
ここまで来たら、東京の下町の代表格である根岸まで行こうと思い立った。
大体の方角に見当を付けて歩いて行くが、どうも違うようだ。通りがかった中学生に聞く。そしてまた歩く。途中でオバサンに聞く。また歩く。
交番があった。そこで正しい方角を聞く。どうも方向が違ったようだ。1時間ほど歩き廻り根岸に付いた。
道路にはツツジ祭りの幟がはためいている。そこで、そのツツジの咲いている根津神社の場所を聞く為に甘味処で小倉アイス最中を買った。

根津神社でツツジを見て、テレビでお馴染みの外国人旅行者に人気の旅館『澤の屋』を覗く。
この辺りは昔は田舎から来る修学旅行生達が泊まる定宿だったところだ。
その後、修学旅行生はもっと奇麗なホテルに移ってしまい、この辺りの旅館は全て廃業となった中を澤の屋だけが外国人を受け入れて生き残った。
上野から2時間半くらい歩き廻り、なんだか風邪も良くなったみたいだ。下町散策は古い日本人の私には何故か落ち着くのだ。
(おまけの話)
東京芸術大学のすぐ先にあるIさんの会社は紳士用シャツのメーカーである。
帝国ホテルや高島屋に出店している高級なシャツである。
私は社長のIさんとは所属しているゴルフ場で30年以上も一緒にプレイした仲である。20歳も年上のIさんは私の老後の手本であり、いつも色々と教えてもらっていた。『歩く時は先の方を見て歩け。そうすれば年寄り臭い歩き方にならない』、『女房と上手くやるには、年をとったらなるべく接触時間を減らせ』など、今でも教えを守っている言葉が多い。
Iさんは戦後、南の島に隠れていて戦争が終ったことを3年間も知らなかった。
小野田少尉みたいな人である。自分に厳しく、1年を通して乾布摩擦と自己流の体操を欠かさず、健康維持に努めていた。
そんなIさんも80歳を過ぎた頃より体力が落ちて、歩いて廻るゴルフ場ではプレイが難しくなり、段々と一緒にプレイ出来なくなった。
今回の散策でIさんの会社の前を通ったら、なんと会社が無くなっていた。
ビルは新しく建て直されて、知らない会社が入っていた。
あの元気だったIさんと会社はどうなったんだろう?
Iさんの顧客だった層は既に引退し、もう顧客ではなくなったのだろう。
デザイナーも兼ねていたIさんでは、もう今の時代に合わなくなったのだろうか?時代は確実に変化して行っている。
今回のIさんのことで、もう私の時代も終っていると再確認させられた。