■五三の桐の金ボタン
久し振りに母校に行った。 私が中学・高校時代の青春時代をお世話になった学校である。
私の同期はどういうわけか、社会に出てから成功した人の『当たり年』らしく、世に名前が出た友人が多い。
作家の嵐山光三郎君や、天皇陛下の前立腺癌の手術の責任者をやった癌研総長の垣添忠生君が有名である。
彼らの他にも大勢の上場企業社長や役員が居る。
そういう友人達の活躍のお陰で、私のようなただの中小企業経営のオヤジまで評価が上がってしまうのはこそばゆい。
今回は同級生のN君が同窓会の会長をしているということから、母校の学園祭に便乗して、我々のデジカメクラブが先輩面をして写真を展示しようという魂胆である。

写真を撮っても見てくれる人がいないと寂しい。
例えて言えば、料理を作っても食べてくれる人がいないと張り合いが無いのと同じではないかと思う。
久し振りの母校は変わっていた。
今では有名進学校となったようだが、これも我々のような良き先輩を沢山輩出したところによると勝手に思っている。
私の通っていた頃は校則も厳しく、詰襟の学生服に『五三の桐』の5つの金ボタンで、それが結構、格好良かったと思っている。
ところが、いまは制服は無いという。なんだかだらしなく見える。
『服装の乱れは心の乱れ』なんて昔は言ったが、今はどうなんだろう?

肝心の写真展は見に来る人もあまりなく、寂しい限りだった。また、現役の生徒達も我々を先輩と思っているのかどうかも分からない。
集まったデジカメクラブのメンバーと寂しく模擬店のカレーを食べた。
でも、この夏に伊達市にやって来るみんなとその計画に付いて打ち合わせが出来たのが救いだった。
(参考までに)私の作品は右側の2枚です。
(おまけの話)
学生時代は勉強があまり好きじゃなかった。
それは私のオヤジの教育方針のせいだと思っている。
そんな私に向かってオヤジは『勉強をしなくてもいいが、社会に出ると判らないことが山ほどある。
そんな時にはどうすればいいか?、どうやって調べればいいか?誰に聞けばいいのか?それだけは勉強しておきなさい』と、言った。それで私は安心して勉強をしなかったのかもしれない。
女房とそんな話をしていたら、彼女のオヤジもかなりユニークだったようだ。
彼女が英語の勉強を一生懸命していると、『そんなものは適当でよい。大人になったら通訳を雇えばいいのだ。だから、人の使方を勉強しなさい』と、言ったという。
いま考えると、どちらのオヤジも子供の教育では問題があったと思う。
それで2人ともこんな大人になってしまった。