■感謝のバトン<3日目>
感謝のバトン<3日目> 天職って言葉があるが、
女子好きの私には最高の仕事だと思っている・・。
<笑>
私のことをそっち系?って考えている人もいるようだ・・・。
けっして「あったかいんだから・・。」
「どんだけ~、、。」なんて言葉は話したことありません
どうしてもこのような仕事をすると
ワンオクターブ高い声で話すのが接客のマナーだと思うから、しょうがないのかな?
それでは本題に入ります・・。
基本的に
かみさんと出会ってからも30年だが
今の仕事に出会ってからも30年だ
まったく飽きない・・。って言うか、いまだにワクワクするときがある・・。
それって、自分好みに仕上がって行く様を見ていくって最高のぜいたくな仕事であり、
いままで本人も気づかない、チャームポイントを発見したときって
最高にハッピー何だよね・・。
それだけではないが・・。ごくごく自然に打ち込めた仕事
それが美容師だったんですね・・。
話しは下積み時代なるが、良く、耐えたよね・・。
給料7万円、家賃1万 トイレ共同 風呂共同
そんなアパート暮らしが自分のスタートだった
贅沢は敵って思っていた・・。貧乏万歳の生活
お店の制服はなかったが自分で勝手に制服って決めて同じような服を何度も来ていた・・。
みかねた先生が自分の着なくなった服をくれたんだが、高い服なんだろうな?って思ったが
趣味が違って着れない服が多かった気がした・・。
下積みはきつかったけど、楽しめたほうが多かったです・・。スタッフはかわいがってくれたと思います・・。
高卒でしたし・・・。
田舎の子でしたから<笑>
そうは言ってもお客様からは結構つらくなるような事を言われた事ありますよ!!・・。
先生のお客様のパーマのロッドを巻かせてもらっているときに
「あんたは何をやっても駄目ね!!」
って言われた事がありました・・。
もう!くやしくて くやしくて・・・。
2階のトイレで泣きましたよ・・。
決して緩い感じで下積みをしたわけではなく、自分自身の勉強のためのチャレンジはそうとうしたと思います・・。
毎週のように東京に行って、スタジオ内で勉強会に参加しました・・。
いつも来る人がいて、仲良くはなれなかったが
勝手に彼がスタジオに来ていないと、
「よし勝った!!」って思っていた自己中人間でした・・。
<笑>
そんなわけで、下積み時代は勉強ばかりしてましたね・・。
いい経験でした・・。
基本的に下積みも新しい子が入ると自分も上にあがっていくのですが
毎年のように下の子は入るがやめていくので、自分がなかなか上に上がることが出来なかったのです・・。
そんな時に、先生にお願いをしました・・。
「私はいつからカットを教えてくれるんでしょうか?」と生意気な言葉だが
ちょっと、自分でもここ<大友美容室>では成長できないのでは?って思いはじめていたから
どうにでもなれ~って気持ちで聞いたと思った
その時先生がいった・・。
「そろそろやるか!」それからというもの、自分の吸収力は半端なかったと思う・・。
覚えることの楽しさを知った瞬間だった
でもいま思えば、腐らずにいたのも、かみさんがいてくれたおかげなんだろうね・・。
励ましあってましたから・・・。
そうそう!!ここで誰に私は感謝を伝えるのか?
実はオーナーの大友先生です・・。
私は大友美容室に3650日・10年間勤めました・・。
最後の2年間はチーフという立場で仕事をさせていただき
お店の売り上げを先生も越すくらいに成長しました・・。
その時に、先生が他の方<お客様・ディラー>に話すことばでいまでも忘れない言葉がありました・・。
「大屋はうちのドル箱だから・・・」
この言葉は私にとっては最高の言葉だった・・。
美容師という仕事が俺のステージであり
そして、生まれてきた意味を自分のミッションをしる
アイテムがこの仕事だったのではないだろうか?
今でもそうだが、あの時もいろんなものをいただいたよなぁ~・・。
洋服を買ってもらったり・・。
お店を持つようになったらこれ使って!と、壺や植木鉢をもらったり・・。
お酒をもらったり
当然ですが、現金をもらったり・・。
すべてがここ<大友>で働いたことで、自分のステージを上げたと思います・・。
ということで
いまでも、私を語るには大友先生の存在なくして私は語れないです・・。
いまはどこに行ったのかもわからなくなりましたが
出会えることができたなら・・。
感謝の言葉を伝えたいですね・・。
本当にありがとうございました・・。
感謝!!

