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[2008.04.24]
■境界線を越えてやって来る迷惑
春が来る頃になると、毎年のように中国から黄砂が日本に飛んで来る。それが我が家にもやって来て、洗ったばかりの車のボンネットを汚す。 
洗濯物などは庭で干すと汚れてしまい、洗濯をした意味が無くなる。 
 
 
お隣の国『韓国』からはノリ養殖の際に使う薬品入れの空のプラスチック容器が日本中の海岸に流れ付いている。 
今の時代は隣の国から勝手にやって来る物に手を焼くようになってしまった。 
ところが北海道ではロシアから勝手にやって来る流氷をお金を出して見に行くのだから、来るものによっては大分扱いが違う。 
 
先日のブログにも書いたが、隣の家から我が家には勝手に蕗がやって来る。今ではもう我が家の庭は蕗畑のようになってしまった。隣りというのは国でも家でも色々と面倒を起こすものである。 


ところが、こちらからあちらへ行く物もある。 
我が家の塀に30年くらい前から蔦が絡まるようになった。 
どこから来たのかは知らないが、自然に絡まっている。春は新緑でとても綺麗だし、秋は真っ赤な紅葉でまたこれもいい。通りすがりの人も楽しんでいる。 
 
今ではその蔦が塀を伝わって30メートル以上も伸びて行っている。そこで、当然だがお隣さんとの境界線の塀にも絡まって入って行く。 
気が付いた時には、私は隣りに入りそうになっている先端の芽を切る。 
 
ある日のことである。我が家の敷地内にある蔦の枝が10ヶ所以上で大幅にカットされているのを見付けた。 
これは明らかに故意である。切り口が鋸で切られているので、すぐに分かった。 
ところが、その切られた場所をアチコチと探して行くと、なんと驚いた。隣家の庭の中に入らないと切れない場所の枝も切られている。 
 
どう考えても、隣家の人が切ったとしか思えない。 
でも犯行現場を見ているわけじゃないので、文句を言いに行くわけにもいかない。 
お陰で、今年の春の我が家の塀は蔦が少なく、寂しいものとなっている。 
 
前回の『隣りから来た蕗は誰のものか?』というブログに関して、『テレビ番組の行列の出来る法律相談所のテーマに出したらどうか?』と言って来た伊達市のRさん、この場合はどうなんですかー? 
お隣さんとのお付き合いは東京でもかように難しいのである。 
 
(おまけの話) 
私が現役の時には『中国に工場を出さないか?』という誘いが何回もあった。 
私は『知らない国で、知らない言葉で仕事をする気は無い』と言って断った。 
 
ところが私の友人は上海に工場を出してしまった。 
その時に私はその社長のKさんに、『何事も初めがあるように終りもある、あなたももう年なんだから、終りはどう考えているの?』と聞いたら、怪訝な顔をされた。 
私はそれから引退してしまったが、Kさんはたまに上海からメールをくれる。 
 
中国でも『人件費はドンドン上昇するし、賄賂はあるし、法律はしばしば変わるし、せっかく育てた社員はすぐに引き抜かれるし、参っている』と言ってきた。 
『5年経っても大した利益も出ず、また先の見通しも立たない。 
 
あの時に橋本さんが言っていた(終りはどう考えているの?)という言葉が今になってやっと判るようになった』と言っていた。 
もしかして、人というのは観光旅行以外では国境を越えない方が幸せなんじゃないかと思った。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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