伊達市地域生活情報マガジン『むしゃなび』へ ブログ★むしゃなび トップへ [今日:414] [昨日:566] [ 1072196 ] rss feed
[2015.05.02]
日本人に生まれてよかった~って言える瞬間ですよね・・。  
 
まずはご覧ください・・。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あるがままを見せてくれる  
 
自然の美  
 
何ともいいではありませんか・・?  
 
桜のようにだれしもが  
 
見に来てくれるようなサロンにしよう!!  
 
そんな気持ちなった  
 
感謝!! 



[2015.05.01]
手渡された感謝のバトン・・・。  
 
本人を目の前にして、なかなか言えなかった感謝を文章にして  
 
かいては見たが、やっぱり、本人に伝えたほうが  
 
一番いいよね・・・。  
 
それでも、なかなか言えなかった  
 
すでに亡くなった  
 
どこにいるかわからない  
 
 
そんな人も多分いるのではないだろうか?  
 
私がこの年まで生きてきて、本当に沢山の人に支えられてきた・・。  
 
だから、これからの人生は支える側にまわろうと思う  
 
形はどうであれ気持ちだけは、そんな気持ちでいる  
 
さて、最終日の感謝  
 
次男へ贈る『感謝』  
 
感謝のバトン<最終日>  
 
10月22日PM11時45分ころだったと思う  
 
寝ていた私を起こした・・。  
 
かみさんが、最初の出産と同じように破水から始まった  
 
急いで病院へ電話・・。  
 
陣痛が来て10分間隔なら来てください!  
との指示  
 
するとすぐに陣痛が始まった・・。  
 
時間を計り始めた・・すると5分もたたないうちに陣痛  
 
あわてて病院へ電話・・。  
 
それでは病院へ来てください!との指示  
 
自分が着替えている最中にかみさんが一言  
 
なんか頭が出ているかもしれない!  
 
もうその言葉にパニックに陥っていた・・。  
 
頭?  
ここでうまれるのか?  
 
そんな事が頭をよぎる  
 
 
寝ていた親を起こし、まみちゃんこれから病院何だけど  
 
頭が出ているんだって・・。階段から下りるかみさんはかなりつらそう・・。  
 
荷物を車に積み、病院へ直行、5分もたたないうちに病院へ着いた・・。  
急いでかみさんをおろして、二階に行く指示  
 
私は駐車場に車を止めて、分娩室に上がった・・。  
 
すると廊下にはパジャマが脱ぎ捨ててあった・・。  
 
え!なんでこんなところに!と思いつつパジャマをひろって、分娩室へ  
 
するとすでにかみさんは分娩室に上がっていた  
 
看護師さんもパニック・・。先生に急いで連絡するがなかなか来ない様子  
 
看護師さんはかみさんにいいました・・。踏ん張らないでください・・。  
 
すると先生が笑顔でやってきた・・。  
 
あらあら!!という言葉を発した瞬間、先生の顔いろがかわった・・。  
 
「ちょっとまってちょっとまってお姉さん!」とはいわないが  
 
準備が出来てなかったことで、あわてる先生  
 
簡単な準備が整うと同時に出産  
 
10月23日 12時2分 無事 樹良<キラ>を出産  
 
破水からわずか15分で出産・・。何ともいえない時間だった  
 
映画のワンシーンのような感覚が今でも覚えている・・。(笑)  
 
キラ 現在は18歳  
 
彼は美容師を目指して、今年の春から札幌の美容学校に進学  
 
彼もまた、不思議だが小学校の低学年から、早く美容師を希望していた  
 
彼に何故美容師になりたいかわけを聞いたところ、こんな答えが返ってきた  
 
「僕がね外で遊んでいたら、お客さんがいつも麗人屋さんから笑顔で出てくるんだよ!だから僕も麗人屋さんで働くんだ!」って  
 
言葉を聞いたときに  
 
ガッツポーズをした記憶がある・・。  
 
子供の素直な目線は、私の仕事への励みになったのはいうまでもない・・。  
 
彼が卒業するまじかに私とかみさんにラインを届けてくれた  
 
内容はいえないが最後にこんな言葉を残してくれた  
 
僕が美容師になって親孝行するね・・って言葉だった  
 
レオもキラも、かみさんと自分が育てたような感覚はない  
 
って言うより、親として育ててもらった・。という感謝の気持ちしかない・・。  
 
本当は最後に私の夢で締めくくりたかったが、  
 
それはいずれ話そう!!  
 
レオ キラ    
 
生れて来てくれてありがとう  
 
感謝!!  
 
5日間にわたる、感謝のバトンは今日で終了  
 
続いてのバトンは誰に渡るのか?  
 
シークレットとさせていただきます・・。  
 
本当にコメントやいいね!!を押していただき  
 
ありがとうございました・・。  
 
 

[2015.04.30]
おはようございます・・。  
 
麗人さん今日も元気はつらつ  
 
そうそう!!先日ださいくんからたくさんのネギをいただきました・・・。ネギぶつ切りのお好みやきをしたかったので超うれしいです・・。  
 
 
 
本当にありがとうございます・・。  
 
そしてかずみちゃんからも毎回・毎回  
 
お菓子の差し入れ・・。本当にありがとうございます。  
 
 
 
 
感謝のバトン<4日目>  
 
 
 
今でも覚えている・・・。夜中の12時を過ぎてはいたが正式な時間の記憶はない・・。  
 
かみさんが夜中トイレで起きてお腹に異変を感じ  
 
私を起こし破水かどうかわからないが、おなかの中で「パン!」と音がした!というではないか?  
 
あわてて、病院に電話・・。すると看護師さんの指示は陣痛があったら、時間を計り20分後になったら電話ください!  
とのことだった・・。  
 
すると1回目の陣痛がやってきた・・。時間は約10分後  
 
え!!と思いつつ、病院へ電話・・。病院へいく支度は出来ていたので  
 
自分も着替えて車を走らせる準備・・。  
 
それでは病院へ来てください!  
 
との指示で車で約30分かかる道を走りました・・。  
 
道中の会話・・。これが陣痛というものなら、なんかとてつもなく痛いかも!というではないか?  
 
これから24時間体制で、腰をさすったり水を飲ます準備はしていた・・。  
 
長い一日になるだろう!と勝手な想像をしていた・・。  
 
病院につくと陣痛室に通された・・。看護師さんがかみさんの内診をしてびっくり  
 
もう!!すでに産める準備整っていたようだ・・。要するに子宮口が全開  
 
看護師もあわてて、分娩室に通すことになったのです・・。  
 
素人の私が見ていてもあわてている感じが伝わった・・。  
 
あれ!!腰をさする時間・・・。水を飲ますことはしなくていいの?と思いつつ  
 
ご主人はお部屋から出ていてください・・との指示・・。  
 
あれ!!先生に立ち合い出産を希望していたが忘れたかな?  
 
いろんなことが頭をよぎったのですが、、どうすることもできない自分・・。  
 
分娩室から聞こえてくる心音らしき音・・。その心音らしき音が早くなったり遅くなったり  
 
なんとも言えない時間がただただ過ぎて行った・・。  
 
ただ、一言もかみさんの声だけはしなかった・・。  
 
約20分くらいたっただろうか?看護師さんが私を呼びに来てくれた・・。  
 
すると、汗だくで頑張っているかみさんを見てびっくり  
 
ご主人はここを持っていてあげてください・・との指示  
 
肩に手をまわし、私はただ支えているだけ・・。  
 
ヒィーヒィーフーと自分がしなくてもいいのだが自分もしていたような気がする(笑)  
 
すると先生があともう少し踏ん張って!!と声・・。  
 
え!もう生まれるの?  
水は?  
腰はさすらなくていいの?と一瞬よぎったが  
 
最後の力を振り絞り・・。無事出産  
 
平成5年11月7日 待望の男児を出産  
 
名前は玲於<レオ>  
 
もう!何が何だかわからないが、なんだかうれしい・・・・。  
味わったことのない感動に包まれていた  
 
かみさんも、よかった よかったとうっすらと涙を浮かべていた・・。  
 
あれから22年がたとうとしています・・。  
 
息子は3歳くらいから、消防士になるのが夢だった・・。  
 
義理の兄が消防士だったことで  
 
でよく、消防車にのせてもらったりしていたからだろうか?  
 
でもそんな夢はいつかは変わるだろうって普通に感じていた・・。  
 
しかし、彼の意志は変わることがなかった・・。  
 
今でも覚えている彼の言葉が印象的だ  
 
それは消防の第一次審査を合格して2次審査の面接の勉強をしている時だった・・。  
 
先生を面接官にたとえて面接の練習をしているうちに  
 
本当に伊達のことが好きになったというではないか?  
 
本当に伊達の人たちを守りたいって意識が芽生えたそうです・・。  
 
見事、2次審査を合格  
 
レオの夢は実った・・。  
 
彼からいろいろと学ばせてもらった・・・・。  
 
保育所のときから学校を卒業するまで  
 
本当に良く頑張った彼の姿を、私たち二人は知っている  
 
悔しいことも 悲しいことも乗り越えたレオの人生  
 
これからも、変わることなくこの街の人たちのために働いてもらいたいですね・・。  
 
親として誇りに思うよ  
 
ありがとう  
 
感謝!!  
 
 
 

[2015.04.29]
感謝のバトン<3日目> 
 
天職って言葉があるが、 
 
女子好きの私には最高の仕事だと思っている・・。 
 
<笑> 
 
私のことをそっち系?って考えている人もいるようだ・・・。 
 
けっして「あったかいんだから・・。」 
 
「どんだけ~、、。」なんて言葉は話したことありません 
 
どうしてもこのような仕事をすると 
 
ワンオクターブ高い声で話すのが接客のマナーだと思うから、しょうがないのかな? 
 
それでは本題に入ります・・。 
 
 
基本的に 
 
かみさんと出会ってからも30年だが 
 
今の仕事に出会ってからも30年だ 
 
まったく飽きない・・。って言うか、いまだにワクワクするときがある・・。 
 
それって、自分好みに仕上がって行く様を見ていくって最高のぜいたくな仕事であり、 
 
いままで本人も気づかない、チャームポイントを発見したときって 
 
最高にハッピー何だよね・・。 
 
それだけではないが・・。ごくごく自然に打ち込めた仕事 
 
それが美容師だったんですね・・。 
 
 
 
話しは下積み時代なるが、良く、耐えたよね・・。 
 
給料7万円、家賃1万 トイレ共同 風呂共同 
 
そんなアパート暮らしが自分のスタートだった 
 
贅沢は敵って思っていた・・。貧乏万歳の生活 
 
お店の制服はなかったが自分で勝手に制服って決めて同じような服を何度も来ていた・・。 
 
みかねた先生が自分の着なくなった服をくれたんだが、高い服なんだろうな?って思ったが 
 
趣味が違って着れない服が多かった気がした・・。 
 
下積みはきつかったけど、楽しめたほうが多かったです・・。スタッフはかわいがってくれたと思います・・。 
 
高卒でしたし・・・。 
 
田舎の子でしたから<笑> 
 
そうは言ってもお客様からは結構つらくなるような事を言われた事ありますよ!!・・。 
 
先生のお客様のパーマのロッドを巻かせてもらっているときに 
 
「あんたは何をやっても駄目ね!!」 
 
って言われた事がありました・・。 
 
もう!くやしくて くやしくて・・・。 
 
2階のトイレで泣きましたよ・・。 
 
決して緩い感じで下積みをしたわけではなく、自分自身の勉強のためのチャレンジはそうとうしたと思います・・。 
 
毎週のように東京に行って、スタジオ内で勉強会に参加しました・・。 
 
いつも来る人がいて、仲良くはなれなかったが 
勝手に彼がスタジオに来ていないと、 
 
「よし勝った!!」って思っていた自己中人間でした・・。 
<笑> 
 
そんなわけで、下積み時代は勉強ばかりしてましたね・・。 
 
いい経験でした・・。 
 
 
 
基本的に下積みも新しい子が入ると自分も上にあがっていくのですが 
 
毎年のように下の子は入るがやめていくので、自分がなかなか上に上がることが出来なかったのです・・。 
 
そんな時に、先生にお願いをしました・・。 
 
「私はいつからカットを教えてくれるんでしょうか?」と生意気な言葉だが 
 
ちょっと、自分でもここ<大友美容室>では成長できないのでは?って思いはじめていたから 
どうにでもなれ~って気持ちで聞いたと思った 
 
その時先生がいった・・。 
 
「そろそろやるか!」それからというもの、自分の吸収力は半端なかったと思う・・。 
 
覚えることの楽しさを知った瞬間だった 
 
でもいま思えば、腐らずにいたのも、かみさんがいてくれたおかげなんだろうね・・。 
 
励ましあってましたから・・・。 
 
そうそう!!ここで誰に私は感謝を伝えるのか? 
 
実はオーナーの大友先生です・・。 
 
私は大友美容室に3650日・10年間勤めました・・。 
最後の2年間はチーフという立場で仕事をさせていただき 
 
お店の売り上げを先生も越すくらいに成長しました・・。 
 
その時に、先生が他の方<お客様・ディラー>に話すことばでいまでも忘れない言葉がありました・・。 
 
「大屋はうちのドル箱だから・・・」 
 
この言葉は私にとっては最高の言葉だった・・。 
 
美容師という仕事が俺のステージであり 
 
そして、生まれてきた意味を自分のミッションをしる 
 
アイテムがこの仕事だったのではないだろうか? 
 
今でもそうだが、あの時もいろんなものをいただいたよなぁ~・・。 
 
洋服を買ってもらったり・・。 
 
お店を持つようになったらこれ使って!と、壺や植木鉢をもらったり・・。 
 
お酒をもらったり 
 
当然ですが、現金をもらったり・・。 
 
すべてがここ<大友>で働いたことで、自分のステージを上げたと思います・・。 
 
ということで 
 
いまでも、私を語るには大友先生の存在なくして私は語れないです・・。 
 
いまはどこに行ったのかもわからなくなりましたが 
 
出会えることができたなら・・。 
 
感謝の言葉を伝えたいですね・・。 
 
 
 
本当にありがとうございました・・。 
 
感謝!!  

[2015.04.28]
リゾートスパ サンパレスから 
 
おはようございます。m(_ _)m 
 
静粛な洞爺湖は本当に気持がいい、、、。 
 
こんな素敵な所が近くにあるなんて 
 
最高の贅沢な人生って思うのである、、。 
 
今があるって事に感謝ですね、、。 
 
 
 
 
感謝のバトン<2日目> 
 
岩手県県立釜石北高等学校を卒業して 
 
千葉県の八千代台という地域の「大友美容室」というサロンで下積みが始まった・・。 
 
勤め始めて1週間もたたないうちに 
 
いまのかみさん「まゆみ」さんと知り合う 
 
今でも「まみちゃん」と言ってます(笑) 
 
出会いのことを言うと照れくさいから言わないが 
 
少しだけお話ししよう! 
 
まみちゃん・・。当時は16歳 私は18歳 
 
 
仕事がお休みの日に高校の同級生の鹿島と喫茶店に入った・・。 
 
そこで、机の上におかれていた、落書き帳に鹿島と私は 
 
岩手から来た事・・。友達がほしい事・・美容師をやっているって事を書いたような気がする 
 
鹿島は車屋さんに勤務先が決まっていて、そんなことを書いたらしい・・。 
 
その晩、私の家に、高校の同級生が数名来て・・。今後のことを話していたと思う・・。 
 
その時に、電話が鳴った・・。 
 
なんで電話がなるんだ・・。 
 
俺の電話番知っているのは 
 
ここにいる友達と、親くらいしかいないはず 
 
すぐに、外出しようとおもっていたから、電話をすぐ切ろうと思って 
 
とりあえず出た・・。すると向こうから聞こえてくる声の主 
 
それが今のかみさん・・。「まみちゃん」なのであった 
 
「だれですか?」たぶん、岩手から来たばかりの私は、超なまって話していたと思う(笑) 
 
すると、「今日、ドンキーで落書き帳に電話番号書きましたよね・・。」 
 
というではないか? 
 
そんなことすらすっかり忘れてしまっていたので 
 
近くにいた鹿島に、「今日うちら、喫茶店で電話番号書いたっけ?」ってきいてしまった程でした・・。 
 
すると「美容師のたまご」って書いてあったから気になって・・。というではないか? 
 
もう、地球がひっくり返ったような瞬間だった・・。 
 
今日書いたばかりで、なんで今日電話があるの? 
 
都会ってこれが普通なの?という大きな衝撃でした 
 
でも電話の向こう側から聞こえる声は今も耳に残っている・・。 
 
この電話の向こう側の子と私が生涯を共にする伴侶となるなんて 
 
誰一人想像はしていなかったはず・・。 
 
実は自分もその一人であった・・。(笑) 
 
隣にいた鹿島も「電話は俺の方じゃない?」って聞き返したほどでした・・。なぜならば鹿島は高校時代 
 
女の子をひっかえとっかえしていた、モテ男だったから・・<笑> 
たぶん、俺に電話があった事にかなりの疑問があったんだと思う・・。 
 
そんな、なれ染めがあったわけだが 
 
生涯を共にするパートナーは9年というお付き合いを経て 
 
実を結ぶことになった・・。 
 
いま思うと、本当にまみちゃんで良かったって心から思っている 
 
こんな、田舎暮らしにもつきあってくれて、、。 
 
親との同居もえらんでくれて 
 
普通なら全てが選択されな位、材料ばかりだが 
 
私を選んでくれた事に感謝をしている 
 
そうそう!!この世に来ることなったミッション 
 
実は共に分かち合うことを学ぶために 
 
二人は出会ったんだろうね・・。 
 
破天荒な俺に人間らしい、きちんとした方向性を定めてくれて 
何度も助けられた事がある・・。 
 
本当に良く、いままで付いてきてくれたって思うほどだ・・。(笑) 
 
かみさんの話しをすると親以上に話すことがいっぱいになる・・。 
 
30年という二人の歴史はこれからも刻まれます・・。 
 
10年、、、。20年と、、、。 
 
こんな私ですが・。よろしくおねがいします・。 
 
出逢ってくれて 
 
感謝 
 

[2015.04.27]
ある方に感謝のバトンを手渡された・・。 
 
 
日ごろの感謝を今日から五日間 
 
連投する・・。 
 
私に投げかけてくれたEさん・・。ありがとうございます・・。 
 
「さとる」がしっかりと繋げます・・。  
********************* 
 
感謝のバトン<1日目> 
 
1965年 12月10日 金曜日 満月 
AM8:00  
 
 
仲洞爺のほとりの社宅で生まれた・・。 
 
何かのミッションのために 
 
あの世からこの世にやってきた 
 
 
真っ白な魂に命を吹きこむために授かった名前・・。 
 
 『覚』 
 
『大屋 覚』 
 
という名前です 
 
実にいい名前って思っている・・。 
 
 
父「隆」 母「貴美子」 
 
 
父・隆は待望の男子ということで台所で泣いたそうな・・。小学校の時にその事実を聞き 
 
凄くうれしくなった記憶がある・・。 
 
私という存在が認められているんだ・・。と子供ながらに感じた瞬間だった・・。 
 
母はいつも、私の味方をしてくれたと思う・・。私がチョロ松だったところもあり、 
 
父にげんこつを食らったときが何度もあったが、 
 
「なんで叩くの!!」って父に怒鳴って言っていた記憶がある 
 
そんな、父のしつけという名の「愛」  そして、母からの慰めという「愛」を受けて 
 
元気に育った・・。 
 
 
私は生まれた時には人並みの大きさだったが、成長するにつれ人並みでない事がわかった・・。 
 
ダントツのチビ・・。ドチビの域だった・・。小学校を卒業したとき139センチ 
中学を卒業したときには149センチ 
 
高校で急成長して170、5センチになったが現在は2センチほど短くなった(笑) 
 
小学校の時に母に言われた言葉が今でも覚えている 
 
「覚は大器晩成だよ・・・」やっぱり慰めの言葉だった・・。 
多分、小さい私を見て、何やってもおぼつかない私を見ての言葉っだのではないだろうか? 
 
走っても遅い・野球をやっても補欠。勉強しても下から数えた方がいいくらい 
 
取り柄と言えば「元気」だけだったような気がする・・。 
 
でも、その言葉を信じた・・。 
 
きっと俺の時代が来るって 
 
どういう形で来るのかはわからないがきっとくるって信じて49歳になった・・。 
 
(笑) 
 
父と母から育ててもらった愛情は今の私をつくってくれた・・。 
 
ちょっとゆがんだ所もあるが・・。これが完成ではない・・。 
 
なぜならば「大器晩成」だから・・。 
 
お父さん・・。お母さん・・。 
 
ありがとう・・。 
 
私が生まれて良かったかな? 
 
これからも面倒かけるね・・。 
 
よろしくね!! 
 
PS 父は17年前・他界 
 
「ありがとう」という言葉を残し 
 
あの世に行った・・。最後までかっこいい父だった・・。 
 
俺も見習うよ・・。感謝 
 
 

[2015.04.26]
基本的に知り合いなら断る理由もないから  
 
受けさせていただきました・・。  
 
日ごろの感謝をSNSとここ<むしゃなびブログ>で書こうと思います・・。  
 
バトンを渡されたのは榎本さん  
 
札幌に住む結婚相談所をされている女性です・・。  
 
彼女の紹介を通して  
 
いま麗人が取り組んでいる少子化への手助けである  
 
伊達での婚活パーティーの開催をしております。  
 
数年前までは自分がそんなことをやるなんて全く思っていませんでしたが  
 
やってみると、違う角度で人間ウオッチができて  
 
楽しませていただいております・・。  
 
 
明日から5日間・・・。  
 
火曜日はお休みだから、こちらでのブログがかけませんが  
 
フェイスブックで日ごろの感謝  
 
なかなか言えなかった感謝をご披露します。  
 
 
そうそう”!!  
 
昨日といい 今日といい  
 
本当に忙しい1日になります・・。  
 
たくさんの出会いに感謝して  
 
今日も元気に張り切っていきます! 
[2015.04.25]
タイトルが長いですね<笑> 
 
この小さな町では宣伝しやすいといころは正直あります・・。 
 
折り込みチラシを出しても 
 
部数も少ないし 
 
低価格で宣伝が可能です・・。 
 
しかし、商売をするには、人が少なすぎです・・。 
<笑> 
 
最近、外を出るとワンちゃんを飼っている人を多く見かけます・・。 
 
わんちゃんは犬種によってカット<トリミング>が必要です・・。 
 
わたしのうちでもマルチーズを飼っているので 
 
トリミングをしてもらうんですが、その日のうちにカットができるんなんてめったにありません・・。 
 
2週間待つ時もあります。 
 
けど、麗人を見てみると? 
 
待ってくれれば、結構、その日に出来ちゃうことが多いです・・。 
 
っていうか次の日なら間違いなく出来ます・・。 
 
やっぱり、需要と供給のバランスが崩れてきているんですね・・。 
 
ただ、商売って黙っていては何も始まりません・。 
 
サロンの特徴を伝えないと 
 
ほとんどの方が 
 
自分が通っているサロンが当たり前と感じますからね・・。 
 
そうすると、その人にとっては他店への魅力ってないんですよ・・。 
 
商売って動いているかどうかが鍵なんだとつくづく思います・・。 
 
笑い話に、売れない蕎麦屋さんが、うれないから暇なんで商店街を自転車でうろうろとしていたそうです・・。 
 
すると、商店街の人はその、店主を見て思ったそうです・・。 
 
あそこはいつも忙しい!!ってね・・。 
 
それを自分の所のお客さんに、こう言って話したそうです・・。 
 
あそこの蕎麦屋はいつも忙しいよ・・。 
きっとおいしいんだよ・・。って食べてもいないのに 
伝えていたそうです・・。 
 
すると、蕎麦屋さんが忙しくなった!ということです・・。 
 
蕎麦屋さんは暇だから自転車を漕いで暇つぶしをしていただけなんですけどね!! 
 
 
 
口コミの大切さ・・。 
 
動いていることの大切さを知りました・・。 
 
さぁ!!私が自慢できることは 
 
『発信』です・・。 
 
サロンが動いているってことをみなさんに知っていただけたらいいですね・・。 
 
未来の子供たちが将来、美容師をやりたいって思ったときに 
 
魅力あるサロンでありたいからね・・。 
 
見た目の美しさも大切だけど 
 
中の動きをみんな知りたいんだよね・・。 
 
今日も張り切って仕事します・・。 
 
土日が忙しくなりそうな気配です・・。 
 
ちょっとだけ空きがあります・・。 
是非お電話くださいね・・。 
 
多分ヨヤクちゃんは、いっぱいになってますから・・。
[2015.04.24]
まずはむしゃなびのイベントにも掲載しておりますが  
 
TAD三浦さんが麗人でブルース ライブを行ってくれることになりました・・。  
 
 
 
 
前回も書いたんですが  
 
ブルースのライブをやったことがなかったこと  
 
投げ銭をやった事がなかったこと  
 
聞く体制  
 
照明などなど・・。  
全く何も分からずに始めたライブでした・・。  
 
しかし意外といつもと変わらない事に気付きました・・。<笑>  
 
っていうより面白い!!って言うのが感想です・・。  
 
お客様を飽きさせない配慮は見事ですね・・。  
 
そして、、、いよいよ、  
 
第3弾 婚活年代別パーティーを開催します。  
 
まだ、イベントにはまだチラシを掲載しておりませんが、これも待っている方が沢山いるイベントです。  
 
ぜひ、たくさんの方に来ていただきたいですね・・。  
 
そして、7月12日 日曜日  
 
「つきのさんぽ」さんが  
 
くるよ~・・。  
 
時間等 料金などなど  
 
チラシが届き次第掲載します・・。  
 
ぜひ、お楽しみに!!  
 
[2015.04.23]
ちょっと気になる「ひらめき」があった・・。  
 
 
 
 
ひらめく時って、私の場合は朝方が多い・・。  
 
しかも、いつもよりも早い時間に起きるときが多い  
 
この『ひらめき』に乗るか?  
 
それが非常に難しいところである・・・。  
 
さて、皆さんも「ひらめく」ときってありませんか?  
 
これって後押しのサインと私は感じています・・。  
 
過去にも何度もそんなことを感じ実行したことがあります・・。  
 
しかし、それがいい結果だったか?  
 
っていうと疑問な時が多いです・・。  
 
しかしアイデアは悪くはないって勝手に思っています。  
 
このひらめきの積み重ねが今の自分を構築しているだろうから  
 
今回もしたがってみようかな?  
 
なぜならば・・。  
 
喜んでくれる人がいるから・・。  
 
さぁ!!今日も張り切って仕事するぞ!! 
ああ~遊行!!
麗人 Love Earth
麗人 Love Earth
★誕生★ 
12月10日 洞爺湖のほとり 
 
★血液★ 
興味がないがO型みたい 
 
 
★趣味★ 
創造 
 
5歳で父の仕事の関係で岩手県に・・。 
 
修行時代>高校を卒業後千葉県の大友美容室で10年間みっちり修業・3年程、姉のサロンで店長として修業 
 
遊行の始まり> 
Cut&Perm麗人 1995年10月7日OPEN、 
遊行が始まった、始まった頃は苦行の連続<笑> 真面目にリサーチしてお店をするべきだった・・。と後悔の日々・・・。 
しかし生まれながらの恵まれた環境に育ち、苦労知らずで生きている<笑>  
 
2007年12月10日 
麗人Love Earthに名前を変える。 
そして新しい基地を構える。 
みなさんのご指示で立派な基地がオープンしました。 
 
生まれただけでぼろ儲け・・。 
 
目標 
「楽しむこと・・。」 
「人生はたった一度きり・・。自分の人生の映画を主演で演じきる」 
 
麗人HP 
http://reijin.website/ 
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